2017-04-25 第193回国会 衆議院 安全保障委員会 第7号
他国の衛星を攻撃する、破壊するキラー衛星とか、衛星に宇宙核兵器を搭載すること、これは昔レーガン大統領のときにそういう構想がありまして、それがマルタ会談の米ソの和解にもつながっていったんですが、やはりこれは国際社会でのルールづくりがどうしたって必要ですよ、しっかりと。 ただ、SSAの方は、いろいろなごみがたくさんあるのをぶつからないようにするとか、いろいろな点でこれは大事なことであります。
他国の衛星を攻撃する、破壊するキラー衛星とか、衛星に宇宙核兵器を搭載すること、これは昔レーガン大統領のときにそういう構想がありまして、それがマルタ会談の米ソの和解にもつながっていったんですが、やはりこれは国際社会でのルールづくりがどうしたって必要ですよ、しっかりと。 ただ、SSAの方は、いろいろなごみがたくさんあるのをぶつからないようにするとか、いろいろな点でこれは大事なことであります。
一九八九年の十二月三日に、御存じのように米ソのデタント、力の均衡の崩壊、いわゆるマルタ会談でございますが、ゴルバチョフとブッシュの会談によって崩壊し、そして国際情勢は非常に幅広く多極化しまして、政治、経済、軍事、あらゆる面で多極化してきた。 そういうときに、私の恩師である故若泉敬京都産業大学教授がこのように話をいたしておりました。
この時代におきましては、いわゆる米ソ冷戦構造が確立されており、核均衡のもと、日本は、特に日本周辺はアメリカ軍の絶対的な制海権、制空権のもとにございまして、今日日本国民が不安を感じておりますような周辺事態というものはまず起こらないであろうと、しかも冷戦が一九八九年のマルタ会談を機会に終わるなんということは夢にも思わず、今世紀中はこの状態が続くと思っておりました。
もちろん、これは、マルタ会談で冷戦終結を米ソが宣言をした。その前にベルリンの壁が破られている。年を越えて、アメリカのチェイニー国防長官が冷戦終結後の新しい方針をぴしっと出したわけです。ここから冷戦後のアメリカの方針が始まるわけです。 ここで問題は、北の問題をしきりに言うけれども、それを利用した物の考え方はやめてもらいたいと私は思っているのですよ、アメリカにも。
それで、一九八九年にベルリンの壁が落ちて、マルタ会談が起きて冷戦が終わったわけですね。それからどういう戦争が起きているかというと、米国が軍隊を世界の平和のために出したのは、正しい大義作戦、これはパナマですね、砂漠の盾作戦、続いて砂漠の嵐作戦の派兵がありました、それから海の天使作戦、バングラデシュですね、それから希望の回復作戦で米軍は出ていっているわけです。
マルタ会談前後より一気にPKOへの国際的ニーズは高まったと言われていますが、わかりやすい説明を求めたいと思います。 また、UNTACの明石代表からも種々のお話をお伺いいたしましたが、その中で、PKOに対する国際的ニーズは高まっているけれども、資金と要員の不足が今後の大きな問題であるとの認識もお聞きをいたしました。実態はどのようになっているのか、御説明をいただきたいと思います。
○宮澤内閣総理大臣 過般の施政方針の演説でも申し上げたことでございますが、ただいま衛藤委員の言われましたような、マルタ会談によりまして象徴されますようなその後の世界の動きというものは、明らかに冷戦というものは終結をした。
全体としてソビエトの脅威は非常に低くなった、とりわけマルタ会談以降の冷戦構造解体がずっと進んでいく中で大きな戦争はなくなったという認識は中山外務大臣も当時から示されておるわけでありますが、最近のソビエト情勢にちなんで言えばもっともっと、脅威というのはないに等しい、大幅に低下をしたというふうに受けとめていいのではないかと思われます。
○参考人(清水学君) 今の御質問で、パレスチナ問題に対するソ連の対応はどうかという御趣旨なんですけれども、御存じのように、マルタ会談と前後してかつてなかったような規模のソ連からのユダヤ人の流人というのがイスラエルで始まっているわけですね。これと対応して、アメリカが今度は逆にユダヤ人のアメリカへの流人の上限を設定して、年間五万人以上はもう受け入れないというふうにしました。
マルタ会談を経て、ソ連のアメリカでの最恵国待遇と引きかえにソ連は法律をつくってユダヤ人の出国が始まった。それでソ連のユダヤ人はかなりヨルダン川西岸やガザ地区、占領地に送り込まれているという報道があるんですね。 清水参考人のインタビューを読むと、イスラエル側は今後ソ連からのユダヤ人が百万から二百万になるだろうということを述べているようですね。そうしますと、やっぱりソ連とアメリカという大国が………
○安恒良一君 伺いましたが、各国の普遍的な価値のあるものに匹敵するものとして、今の総理の言葉、我が国の貢献は軍縮である、武力行使を永久に放棄した日本に最もふさわしいと考える、マルタ会談から始まった一連の対立緩和を促進する先頭に立って名誉ある地位を確立する、こういう御決意をお持ちだと伺ってよろしゅうございますか。
これは、湾岸戦争が起こるまでは、いろいろな要因はあるにしても、米ソのマルタ会談が行われて以降は、恐らく世界は今までのような冷戦状態から、言うならば対立から協調の世界に入っていくのじゃないか、そして軍拡をやめて軍縮の道をたどっていくというような大きな変化が遂げられるというような状況があって、世界は挙げて安全保障の問題やらあるいは経済の枠組みの問題等々、新しい世界秩序の構築をどうするかというようなことが
このような時代の中で、アメリカの安全保障についての考え方も、マルタ会談以降当然変化しつつあると見るべきだと思いますが、総理の御所見を伺いたいと思います。
そうしてマルタ会談が十二月に行われてヤルタからマルタへの風潮を確定をした。さらにドイツの統一が思ったより早く一九九〇年の十月三日に実現をした。ヨーロッパではNATOの首脳会議が一九九〇年の七月に開かれてロンドン宣言を採択して、加盟二十二カ国、これはワルシャワ条約機構を含めて二十二カ国が互いの不可侵宣言をやった。それを受けて十一月の全欧安保協力会議もそれを歓迎をした。
ところが、デタント、マルタ会談以来、東西対立というのは協調の方向に向かって、アメリカにとってソビエトが当面の敵というような状況ではなくなった。そのほかに国内問題で、原発でいえばメルトダウンに近いいろいろな問題が一方で起こっておるというようなことから、これまでの対立関係というものが日米経済関係に軸足を移してくるのじゃないかという懸念を持つ学者もいらっしゃいます。
○戸田委員 今米ソ首脳会談によって、マルタ会談、ポスト冷戦ということで世界的に軍縮方向、こういう状況に行っていることは間違いないと思いますね。ですから、アメリカも、今年度の予算教書を見ますると、一定の軍縮態勢を打ち出している。ところが日本の防衛費は一貫して伸びてきておりますね。今年度は新中期防衛計画、この防衛計画でおおむね二十三兆円、五カ年で投じるということ。
昨年十二月、米ソ両大国は、マルタ会談によって実質的に冷戦構造の解消を達成したわけであります。そして、ソ連を初め東欧諸国のペレストロイカが進展してきました。つまり、二十世紀の歴史は、共産主義国家が現実にはうまく機能しないことを実証したのであります。
ところが昨年のマルタ会談を契機にしまして、アメリカとソビエトの間のいわゆる冷戦時代は終結をして、時代はまさに米ソ協調の時代に入った、こういうふうに区切りをつけることができると思います。事実、今月の初めには米ソ首脳会談におきまして、戦略核戦力の半減を目指す戦略兵器削減条約の基本合意ということも合意をされております。
○石川国務大臣 今回の米ソ軍縮会議、かねてからの、マルタ会談以来今日までいろいろとSTARTあるいはCFE等につきましての努力が再確認されて、私どもとしてはさらに一層軍縮に向かっての好ましい変化がお互いさま確認され、大きく前進をされつつある、このようなことで大変評価をしているわけであります。
昨年の米ソ首脳会談、マルタ会談を契機にいたしまして、さっき総理も言われておりましたように、ヤルタからマルタへと、まさに目をみはるような変化がございました。そして、そのことを契機に冷戦の終えんの始まりである、こういうことが盛んに言われている今日でございます。
参考までに申し上げますと、ソビエトは、その必要があれば、そういう艦船に核を積載しているかどうかを明らかにする用意があるという立場をとっておりますし、昨年のマルタ会談においても、ゴルバチョフさんの船には核なんか持ってこなかったよということをはっきりさしているわけですから、そういうソビエトの政策の違いからしますと、アメリカのこの政策というのは、これから大変大きく問題になってくると思うのです。
米ソ間におきましても、昨年末のマルタ会談に引き続きまして、先般ワシントンにおいて米ソ首服会議が行われ、新しい協力関係の成立に向けて、米ソ間の対話、協調という路線が一層定着をした、世界の平和と安定にとって非常に意義深いことである、かように私は評価をするわけでございます。
そして、今マルタ会談で冷戦の終結宣言が行われて、今度の米ソの首脳会談では、いわば米ソ依存協調の時代、そこに実践的スタートに入った、この認識は国際的にも常識ではないかと思うんですね。
これは結局、マルタ会談に続く今回のこの合意は、言うなれば、冷戦構造が終結をしたのではなくして、今度は協調時代に新しく出発をした、こういう実践過程に入ったというふうに評価できるのではないか、私はかように思います。特に韓ソ会談は、そういう意味で、朝鮮半島をめぐる状況に対して極めて強いインパクトを与えたということがはっきり言えるだろう、こう思います。